日本では和歌で婚約

婚約の歴史は大変古く、日本では万葉集が編まれた時代にはすでに婚約の概念がありました。万葉集を始めとする古典のいくつかに、男女の恋歌を題材にしたものが数多く見受けられます。結婚概念もはっきり成立していませんでしたから、和歌を交換しあう事でお互いに気持ちを確かめ合った後、通い夫のような形で男性が女性の館に通いつめ、そこで契りを結ぶというのが一般的でした。

この和歌を好きな女性に渡すというのが、今で言う“求婚“になるわけです。しかし恋愛の末の婚約という優雅な風習は貴族社会から武家社会へ移行した頃には一変します。婚約は”家”と“家”の結びつきという発想が強くなり、戦乱の世には政略結婚が一般化します。女性は親が決めた相手と婚約せられ生涯添い遂げる事が女の道とされました。この考え方は日本人の精神世界にしっかりと腰を下ろして、明治になるまでの長い間人々の生活を支配し続けました。

社会的しがらみがない平民はもっと自由に恋愛を謳歌していたでしょうが、結婚・婚約の概念が庶民の間にまで広まるにつれ、一部の特権階級のものだった家と家のつながりは、一般庶民の生活にも根付いていきました。女性が自由にものを言えるようになるのは明治に入ってからですから、西洋文化が日本国内に入り込む事によって、婚約指輪を贈ってプロポーズをする現代の形に近づいていったのです。

婚約史は指輪史なり

婚約の歴史は婚約指輪と関連づけてみていく必要があります。なぜなら婚約をした証として男性から女性へ贈る契約の印の意味合いが強いからです。古くは古代ローマ時代にまでさかのぼります。当時婚約と言うよりは、男性が女性を買い取る際の代償として鉄の指輪が贈られていたという説と、永遠の愛を約束する誓約書の代替に鉄の指輪が贈られたとする説とがあります。

いずれにせよ、指輪は婚約をする上で大変重要な役割を果たしていた事がわかります。婚約の歴史は結婚の起原よりもはるかに長く、まだ結婚概念が形になる前から、社会に根付いていました。婚約を内外に公表した時点で夫婦同等に視られていましたから、簡単に婚約を破棄するなどという事はほとんどなく、特に10世紀前後には法的規制も置かれていました。それほど婚約とは強力な影響力を持ってカップルを精神的にも支配するものだったのです。婚約指輪をはめる習慣が定着したのは、だいぶん後になってからです。今のようにダイヤモンドの研磨技術おろか、指輪の細工技術もありませんでしたから、指輪と言えば鉄のリングだけでした。従って今日のようにロマンチックなムードを指輪に込めるなどという発想はみじんもなかったのです。

アジア諸国では、未だに婚約指輪をはめる習慣はありません。指輪は切れ目のないリングの形をしています。その形が永遠を象徴するものとなり、やがて神秘主義や魔術とも結束して、人々の精神世界や生活をもしばるようになっていきます。今回は婚約の歴史についてお話します。